酒が湧き出る泉があれば、一生飲んで楽しく暮らせるのに。
などと考える酒好きの方は大勢いることでしょう。
酒清水とは、お酒が湧き出る泉のことですが、日本各地に酒清水伝説が存在しています。
その中に、こんな話が伝えられています。
酒清水 (さかしょうず)
昔々あるところに、年老いた父親と、それはそれは親孝行な息子がふたり仲良く暮らしておりました。
貧しい農家ではありましたが、この息子は毎日よく働き、年老いた父親の面倒をとてもよく見ていました。
そんなある日のことです。
息子が畑仕事から帰ってくると、酔った父親がたいそう上機嫌に歌などを歌っています。
きっと誰かからご馳走してもらったのだろうと思った息子でしたが、それが何日も続きます。
不思議に思った息子は、こう考えます。
こう毎日毎日お酒をご馳走してくれるのはどこの誰なのだろう。
ぜひお礼に行かなくては。
そうして父親に尋ねてみると、父親は、ただの水を飲んでいるだけだから気にしなくてよいと言います。
父親が狸か狐の類に化かされているのではないかと心配になった息子は、こっそりと父親の後をつけてみることにします。
慎重に父親の後をつけていくと、やがて大きな欅の木のある泉にたどり着きます。
隠れて様子を見ていると、父親はその泉の水をすくっては美味しそうに飲み、やがて上機嫌になり歌を歌い始めます。
なんと、その泉にはお酒が湧き出ていたのです。
お酒をしばらく楽しんだ後、父親は帰ってゆきます。
父親の姿が見えなくなると、息子のほうも泉に駆け寄り、その水をすくって飲んでみましたが、何度試してもただの水です。
息子は、不思議なこともあるものだ、きっと神様が願いをかなえてくれたのだろうと考えて、家に帰ったということです。
日本各地に伝承されている酒清水
これとよく似た話は日本の各地に伝えられており、有名な養老の滝伝説にも親孝行な息子と父親が出てきます。
養老の滝伝説を例にとってみると孝行話として各地に伝わっていったのでしょうが、酒清水伝説はこれだけではありません。
酒の湧く泉を見つけた百姓が長者になった民話など様々なものがあります。
次の項からは、酒清水に関する民話のいくつかをご紹介しましょう。
観音堂の酒清水 ~福島県~
現在の福島県西部にあたる岩代国白川郡泉崎には、十一面観音の祭ってある観音堂があり、そのそばに「酒清水」と呼ばれる泉があります。
白河風土記にはその名の由来が記されています。
ある地主が雇っていた農民が野良仕事から帰ってくる際に、どういうわけかいつも上機嫌に酔っていたそうです。
そのことを不思議に思った地主が、ある日この農民の後をつけてみると、観音堂のそばの泉を飲んでいることに気づきます。
その泉を調べてみたところ、なんとお酒が湧いています。
この地主は見つけた泉のお酒を汲んで酒屋を始め、大儲けをしたということです。
※写真の観音様は、清水寺のお出迎え観音です。
加茂の長者 ~福井県~
こちらは現在の福井県にあたる越前国大野郡薬師神谷のあるお百姓の話です。
ある日、夢に薬師如来が現われ、牛に乗って近江国加茂の里に行くようにとのお告げを受けます。
このお百姓がその通りにし、加茂の里に着いたところ、乗っていた牛がひとつの井戸のところで立ち止まって動きません。
きっと水がほしいのだろうと思ったお百姓は、その井戸の水を牛にやったところ、喜んで飲みはしますがやはり動こうとはしません。
何度繰り返しても同じで、いつまでたっても動こうとしません。
不思議に思ったお百姓は試しに自分でその水を飲んでみたところ、なんとそれはうまいお酒でした。
これがお告げの意味なのだと解釈したこのお百姓は、その地に居を据え酒屋を始めることにしました。
やがて商売は繁盛し、このお百姓は加茂の長者とまで言われるようになったということです。
福井県では現在でも酒清水という泉があり、酒こそ湧き出しませんが、福井の名水として醸造にも使用されているようです。
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猩々ヶ獄の酒清泉伝説 ~鹿児島県~
薩摩国の西南に位置する猩々ヶ獄の麓には、小さな部落がありました。
村人のひとりがある日、川を渡ろうとすると川の淵にはなんと大きな猩々(しょうじょう、猿に似た妖怪)がいて水を飲んでおり、仰天したこの村人は一目散に逃げ帰ります。
それでもしばらく経つと、この村人は怖いもの見たさに恐る恐るその淵へと出かけていきました。
するとやはり例の巨大な猩々が同じ所でまた水を飲んでいます。
不思議に思ったこの村人は、猩々がいない時を見計らってその淵の水を飲んでみることにしました。
淵から水をすくってすすってみると、なんとそれはお酒だったのです。
それからというもの、この村人は柴刈りや畑作りの帰りなど、毎日毎日ご機嫌に酔って帰って来るようになります。
このことを知った他の村人たちも、それならということで手桶や瓢箪などを持って例の淵に出かけてゆきますが、淵の水はお酒ではなくただの水でしかありませんでした。
それ以来、この淵を「猩々ヶ淵」、村の名を「猩々」と呼ぶようになったということです。
これは、欲を出して後から続いた者たちにとっては「ただの水」だったということですね。
自然発酵してできた酒清水 ~栃木県~
栃木県のさくら市と那須烏山市の境にも、お酒が流れてくる清水があったと言われています。
伝承によれば、そのお酒はある長者が焼き滅ぼされた時、火をかけられた時の熱と雨水によって米蔵の米が麹になり、それがさらに発酵してお酒となって流れ出たものでした。
やがてこの泉は人々に知られるようになり、流れ出るお酒は村人にすべて飲みつくされてしまい、今ではこの伝説だけが残されていてその場所は分からなくなってしまったということです。
まとめ
このように、日本の各地で酒清水伝説が語り継がれていますが、これらの伝承の多くは、自然現象や神や仏の恵みとして酒がとりあげられています。
酒の醸造が進歩する以前、酒はこのようにまれに成功する自然現象、すなわち神の恵みだったのかもしれません。
これらの話以外にも、自然発酵してできたのではないかといわれる酒の中に「猿酒」というものがあります。
猿酒は「見ると死ぬ」といわれている秋田県伝承の謎の酒です。
「見ると死ぬ」といわれる所以は、猿が怒って人を殺すだとか、はたまた呪いによるものだとか、様々な考察がなされており、詳しくは「猿酒を見るとなぜ死ぬのか!?」で解説しています。
酒清水伝説も今となっては真偽のほどは定かではありませんが、確実に言えることは、昔からお酒がいかに人々に愛されてきたのかということではないでしょうか。