養老の滝と酒伝説の真相とは!?~歴代唯一の女系での皇位継承~

養老の滝にまつわる話といえば、孝行息子がその父にそのお酒を与える話や、滝のお酒を飲んで病気が治ったり若返ったりという話がよく知られています。

いろいろな文献にもある話ですが、元をたどっていくと、鎌倉時代に編纂された「古今著聞集」ややはり鎌倉時代の建長4年(1252年)に成立した「十訓抄」(じっきんしょう)にそのルーツを見つけることができます。

 

民話 源丞内と養老の滝

それは奈良に都があった頃の遠い昔のことです。

とある山の麓に源丞内(げんじょうない)という名の貧しい木こりが住んでいました。

来る日も来る日も山道を上り下りしては薪を取り、一生懸命働いて年老いた父親を養っていましたが、なんとか食べていくのがやっとで、父親の好きなお酒を手に入れることはできませんでした。

父親想いの源丞内は、いつか父にお酒を心ゆくまで飲ませてあげたいという願いを胸に抱きつつ、木こりの仕事を続けていました。

そんなある日のこと、源丞内がいつものように山に入って薪を取っていると、どこかから甘い良い香りが漂ってくることに気づきます。

周囲を見回すと、どうやら岩の間から流れ出ている小さな滝がその芳しい香りを発しているようでした。

不思議に思った源丞内がその水を口にしてみると、その滝から流れ落ちているのはなんと、とても美味しいお酒だったのです。

さっそく源丞内はこの滝のお酒を汲んで家に持ち帰り、ついに父親にたっぷりとお酒を飲ませることができ、父子共にたいへん喜んだということです。

話はこれで終わらず、このことが時の天皇であった元正天皇(げんしょうてんのう)の耳に入り、いたく感じ入った天皇は元号を「養老」(717年)と定め、さらに源丞内を美濃守に任命します。

そののち、この親子は幸せな暮らしを送ることができたということです。

 

元正天皇 ~歴代天皇の中で唯一の女系での皇位継承~

この話に登場する元正天皇について、少し説明しておきましょう。

元正天皇は奈良時代に即位した第44代の天皇です。

在位期間は霊亀元年(715年)から養老8年(724年)まで。

天皇となる前は氷高皇女(ひたかのひめみこ)と呼ばれ、父は天武天皇と鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)の間に生まれた草壁皇子(くさかべのおうじ)で、母は元明天皇です。

また、元正天皇は文武天皇の姉でもあります。

氷高皇女をとりまく状況はなかなかに複雑なものでした。

氷高皇女の祖父にあたる天武天皇は686年に崩御しますが、皇位継承者であった草壁皇子が天皇に即位する前に27歳という若さで亡くなってしまったことで皇位継承問題が発生します。

 

持統天皇から文武天皇へ

結局、天武天皇の妃であった鸕野讃良皇女が即位して持統天皇となりますが、孫であった軽皇子に譲位を行ない、軽皇子が文武天皇となります。

しかしながらこの文武天皇も24歳という若さで崩御し、再び皇位継承問題が発生します。

 

元明天皇から元正天皇へ

次の天皇に即位したのは、文武天皇の母であり持統天皇の異母妹でもあった阿閇皇女で、彼女が元明天皇として即位します。

そして霊亀元年、母である元明天皇からその娘の氷高皇女へと女系での皇位継承(歴代天皇の中で唯一の事例)が行なわれ、元正天皇が誕生します。

※ちなみに、この後に即位する聖武天皇は、もともと皇位継承者であった草壁皇子の孫、文武天皇の子という直系にあたるため、女系での皇位継承ではありません。

 

美しく聡明であったと記される元正天皇

元正天皇は女性の天皇としては5人目となりますが、それまでの女性天皇が皇后や皇太子妃という立場であったのに対し、元正天皇には結婚経験はなく、独身で即位した初めての女性天皇ということになります。

和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)となっています。

その性格や容姿については「続日本紀」の中で少しだけ触れられています。

その記述によると、慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい女性だったようです。

それだけではなく、たいへん聡明な方でもあったようで、民が富まなければ国は栄えないと考え、産業の発展を重視し、水田のみならず畑の開墾も推奨し、稲や麦の耕作に力を注いだと言われています。

 

老いを養う若返りの水 ~元号を霊亀から養老へ改号~

そんな元正天皇が、霊亀3年(717年)9月20日に、美濃国(現在の岐阜県)の当耆郡(たきのこおり)に行幸した時に、多度山の美しい泉が目に留まります。

その泉の水で痛むところを洗うと、またたく間に痛みが取れて治ってしまったことから、元正天皇は、これは吉兆に違いないと考えます。

「醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし。」という詔を出し、元号を「養老」と改めます。

717年のことです。

「老いを養う若返りの水」ということから取られた元号で、これもまた養老の滝伝説といえます。

 

現在の「養老の滝」

岐阜県養老郡養老町にある養老公園内には「養老の滝」という名の落差32m、幅4mの滝があります。

もっとも、流れ落ちているのはお酒ではなく普通の水ですが、日本の滝百選に選定、また養老の滝・菊水泉として名水百選にも選定されています。

 

アクセス

鉄道・バス:養老鉄道「養老駅」下車、車で約10分(徒歩では約40~50分かかります)
車:名神高速道路大垣IC/関ヶ原IC 約25分

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養老の滝

 

お問い合わせ

養老町役場 商工労働課
〒503-1314 岐阜県養老郡養老町高田798
TEL 0584-32-1100

 

養老の滝と酒伝説の真相とは!?

元正天皇が実際に沐浴を行なったのは養老の滝ではなく、その近くにある菊水泉という泉であったと言われています。

菊水泉は県営養老公園内にあり、この泉の水は非常に良質で、日本の名水100選に選ばれており、カルシウム・マグネシウム・カリウムなどのミネラル成分を豊富に含んでいながらも軟水で、その上わずかに炭酸が含まれています。

その水質や水量は現在も良好な状態に保たれています。

「続日本紀」によると、元正天皇が沐浴したすぐ後の12月には、この水でお酒を醸造したという記述があります。

この泉の水が、水に並々ならぬこだわりを持つ杜氏からも注目されるほどの名水であったことがうかがえます。

恐らくは、相当な銘酒が造られていたのではないでしょうか。

このようなお酒にまつわる事情も、養老の滝伝説に影響を与えたと言えそうです。

 

養老孝子伝説ゆかりのパワースポット探索!

岐阜県養老郡養老町には、「養老孝子伝説」にゆかりのある神社や寺社がいくつかあります。

それぞれ、どのような場所なのか少し探索してみても面白いかもしれませんね。

「養老神社」、「孝子神社」、「養老寺」など、どれも養老孝子伝説にまつわるパワースポットとして知られています。

 

養老神社 ~養老明神を祀る神秘の泉~ 菊水泉

そのひとつは「養老神社」(ようろうじんじゃ)で、その境内には名水100選に選ばれている菊水泉があります。

祀られているのは菊理媛神、菅原道真、元正天皇、聖武天皇で、奈良時代の養老年間以降に創建されたのではないかと考えられています。

「養老孝子伝説」の源丞内ゆかりの神社と言われていますが、源丞内が祀られているわけではありません。

平安時代の文献の美濃国神明帳では「養老明神」と記載されています。

永正元年(1504年)になって菅原道真を合祀し「養老天神」と改称、その後明治の初期に近隣にあった元正天皇および聖武天皇の祭場を移転、合祀して現在の「養老神社」という名称となりました。

 

孝子神社 ~孝行で得た官職!源丞内を祀る神社~

「孝子神社」(こうしじんじゃ)という神社も岐阜県養老郡養老町にあります。

祀られているのは「源丞内」、つまり養老の滝に伝わる「養老孝子伝説」に登場する人物です。

1982年(昭和57年)に加賀屋天満宮の当時の宮司が養老の滝を訪れた際に、「養老孝子伝説」の地でありながら源丞内を祀る神社がない事を知り、2000年(平成12年)に加賀屋天満宮(大阪市住之江区)の境内に源丞内を祀る孝子神社を仮創建します。

その後、2007年(平成19年)に遷宮の儀を行ない、現在の場所に「孝子神社」が創建され、養老の地に源丞内が祀られることになりました。

孝子神社の宮司は、この創建に関わった加賀屋天満宮の元宮司が務めています。

 

養老寺 ~美濃守に任命された源丞内が建立した寺~

寺社としては「養老寺」(ようろうじ)という名の真宗大谷派のお寺が、やはり岐阜県養老郡養老町にあります。

伝承によると、奈良時代の元正天皇の御代に「源丞内」、つまり「養老孝子伝説」に登場する人物が開いたとされています。

天平の頃には法相宗のお寺でしたが、永禄(1558年~1569年)に入ってから、織田信長の兵火によって焼失し、天正に伊藤祐盛が現在の場所に小堂として再建されたものです。

その後、1607年(慶長12年)に美濃国高須藩の藩主、徳永寿昌の援助によって本堂が再建され、この頃に浄土真宗に改宗しています。

この養老寺の中には、源丞内の墓とされる墓が残されています。

不老長寿に御利益があるとされる寺社であり、本堂の左にある滝守不動明王堂においては養老の滝が修験の場となっています。

 

養老の滝と酒伝説の真相とは!?まとめ

あまりにも有名な「養老の滝伝説」ですが、古くから菊水泉の水で日本酒を醸造していたことと重ね合わせると、大変興味深い話であると言えます。

実際、元正天皇の時代には年号が「養老」に変えられるほど、この伝説は広く浸透していたようです。

昔話において日本酒は、若返るとか、病が治るとか、美人になるといった物凄い効能がある飲み物として登場することが多々ありますが、もしかしたらそのルーツはこの「養老の滝伝説」なのかもしれません。

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Kitagawa

最後までブログを読んでいただきありがとうございます。
これからも日本酒についての記事を書いていきますのでブログシェアお願いいたします。

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