日本酒は世界に類を見ない複雑で精巧な方法により、醸造や管理が行なわれています。
この伝統的な技術を受け継いできたのが杜氏です。
もともと杜氏には「刀自」という漢字があてられていました。
これは家事一般を仕切る主婦を指す語です。
働く男性については「刀禰」という語が用いられていましたから、かつて酒造りにおいては多くの女性たちが活躍していたことをうかがい知ることができます。
現在では、酒蔵の長を杜氏、その他の酒造技能者を蔵人と呼んで区別しています。
一般的には酒造技能検定による一級技能士が杜氏となっていますが、酒造りの責任を負うとともに蔵人を総括し現場管理も担っています。
それで、杜氏には卓越した酒造技術のみならず、統率力や判断力、管理能力や人間力が要求されることになるため、だれでもなれるというものではありません。
杜氏集団の役職と役割分担
(杜氏の出身地や派により分担や用語が多少異なります)
杜氏を筆頭とする蔵人の集団を杜氏集団といいます。
これは江戸時代の後期に、夏まで農作業をした農民たちが秋から専門に酒造りを行なうようになったのが始まりと言われています。
米作りの専門家が酒造りも行なうことで飛躍的に酒造技術が進歩したのです。
この集団には様々な役目が設けられており、それぞれが伝統的な呼び名で表わされています。
杜氏は最高責任者であり、蔵や帳簿の管理およびもろみの仕込みと管理を担います。
そのもとに頭、大師、酛廻から成る三役が置かれます。
頭は杜氏からの指令を伝達して蔵人の指揮を取り、仕込み水汲みや醪仕込みのチーフとして働きます。
大師は麹用蒸米の取り込みを含め麹室仕事の一切を担当し、麹師とも呼ばれます。
酛廻は酛立ての仕事のすべてと、醪仕込みを担当し、酛師とも呼ばれます。
酛はいわゆる酒母のことです。
酒造りにはまだまだ多くの仕事があります。
三役のもとにさらに色々な役目が置かれています。
道具廻しと呼ばれる人は酒造用具の管理、水の運搬と米洗い、蒸米の取り出しなどを担当します。
釜屋と呼ばれる人は甑蒸しや釜焚きつけ、米の洗いと量り、さらにし仕込み水汲みなどを担当します。
相麹は麹師の助手、相釜は釜屋の助手です。
さらには追廻(上人、中人、下人、飯炊から構成されています)と呼ばれる役目もあり、洗い物や運搬、食事の世話などを行なっています。
役職 | 役割 | |
---|---|---|
杜氏 | 蔵の管理、帳簿管理、醪の仕込みと管理 | |
三役 | 頭 | 杜氏からの指令伝達、蔵人の指揮、仕込み水汲み、醪仕込み主任 |
大師 | 麹用蒸米の取り込み、麹室仕事一切(麹師ともいう) | |
酛廻 | 酛立ての仕事一切、醪仕込み(酛師ともいう) | |
道具廻し | 酒造用具の管理一般、道具洗浄、水の運搬、米洗い、蒸米取り出し | |
釜屋 | 甑蒸し、釜焚きつけ、米洗い、米量り、仕込み水汲み | |
相麹 | 麹師の助手 | |
相釜 | 釜屋の助手 | |
追廻 | 上人(じょうびと) | 桶洗い、道具の準備、米洗い、水汲み |
中人(ちゅうびと) | 蒸米運び、洗い物、米洗い、水汲み | |
下人(したびと) | 泡番、洗い物、米洗い、水汲み | |
飯炊(ままたき) | まま屋、かしきともいう。食事の一切、麹室手伝い、桶の見回り、掃除 |
杜氏の出身地や派によって多少の違いがありますが、杜氏集団では上記のようにそれぞれが自分の役割に応じて酒造りの作業に取り組んでいるのです。
日本三大杜氏
杜氏集団は日本全国に存在しますが、とりわけ日本三大杜氏と呼ばれている集団があります。
それは南部杜氏、越後杜氏、丹波杜氏です。
岩手県の南部杜氏は、穀倉地帯として名高く酒造りも盛んな岩手県の石鳥谷町に源を発します。
杜氏の数は372名と全国最多で、蔵人を含めるとおよそ1,300名となります。
最盛期であった昭和40年ごろには3,200名が加盟していたと言われています。
新潟県の越後杜氏は、南部杜氏に次いで全国2位の杜氏集団です。
結成時の昭和33年には900名以上が加盟していました。
三島郡寺泊野積を始めとして県内各地の出身の杜氏が地元の酒造りを支えるとともに、日本全国で活躍しています。
兵庫県の丹波杜氏は、まさに酒造りにおける中心的存在を担ってきました。
江戸時代から銘酒として有名な灘の酒を支えるのはこの杜氏です。
250年以上の歴史を持ち、ある記録によるとその始まりは1755年とされています。
現在の杜氏の数は55名ほどです。
これら日本三大杜氏の他にも数多くの杜氏集団が活動しています。
青森県の津軽杜氏、秋田県の山内杜氏、福島県の会津杜氏、長野県の小谷杜氏、諏訪杜氏、飯山杜氏、石川県の能登杜氏、福井県の大野杜氏、越前糠杜氏、京都府の丹後杜氏、兵庫県の南但杜氏、但馬杜氏、城崎杜氏、岡山県の備中杜氏、広島県の広島杜氏、島根県の石見杜氏、出雲杜氏、山口県の大津杜氏、熊毛杜氏、高知県の土佐杜氏、愛媛県の越智杜氏、伊方杜氏、土佐杜氏、福岡県の柳川杜氏、三潴杜氏、久留米杜氏、芥屋杜氏、佐賀県の肥前杜氏、唐津杜氏、長崎県の小値賀杜氏、生月杜氏、平戸杜氏、熊本県の熊本杜氏といった杜氏集団です。
日本の代表的な杜氏集団
数あるお酒の中でも日本酒は、最も複雑で精巧かつ伝統的な技術によって醸造や管理が行なわれているもののひとつです。
この伝統的な技術を受け継いできたのが杜氏であり、杜氏のもとで多くの蔵人たちがその仕事に携わっています。
このような杜氏を筆頭とする蔵人の集団を杜氏集団と呼び、日本の各地には独自の伝統を受け継ぐ杜氏集団が多数存在しています。
ここでは、代表的な杜氏集団とその特徴をひとつずつ取り上げてみたいと思います。
津軽杜氏
本州最北部に位置する青森県の津軽地方の杜氏集団です。津軽杜氏のほとんどは、林檎でも有名な弘前の出身で、地元で酒造りに励んでいます。杜氏の数は著しく減少しており、昭和60年代には10名ほどいた杜氏も、現在はわずかに5名となっています。青森県には南部杜氏など他の流派の杜氏も多く見受けられますが、津軽杜氏は地元の伝統的な酒造りを守る貴重な存在であるといえます。
山内杜氏
東北を代表する秋田県の杜氏集団です。山内杜氏組合はその本拠地を秋田県山内村に置き、杜氏は43名、全組合員は358名と東北有数の規模となっています。秋田県の醸造場のほとんどは山内杜氏によるもので、秋田の伝統的な酒造りにおいて大きな影響を及ぼしてきたことがわかります。山内杜氏組合の組合員は、秋田県のみにとどまらず、京都府、静岡県、栃木県、福島県、山形県などに展開し、それぞれが活躍しています。
南部杜氏
日本三大杜氏のひとつで、岩手県の石鳥谷町に端を発しています。ここは県内でも優良な穀倉地帯に位置しており、酒造りも盛んです。杜氏は全国最多で372名を数えます。蔵人たちを含めると約1300名が酒造りに従事しています。最盛期であった昭和40年頃には3,200名が加盟していたと言われています。
会津杜氏
福島県唯一の組合を持つ地元杜氏です。福島県内の酒造地は阿武隈川沿いの中通り、太平洋側の浜通り、そして会津の3地域に分類することができます。福島県内には近くの岩手県から来た南部杜氏が多くいますが、会津では地元の杜氏が少しずつ増え、平成元年には組合が結成されています。現在、杜氏6名を含め39名がこの組合に所属して酒造りに従事しています。
越後杜氏
酒どころとして有名な新潟県の杜氏集団で、日本三大杜氏のひとつです。昭和33年の組織結成時には、900名を超える集団となっていました。三島郡寺泊野積をはじめ、県内出身の杜氏たちが地元で積極的に酒造りを推し進めているほか、日本全国で銘酒の醸造に貢献しています。
小谷杜氏、諏訪杜氏、飯山杜氏
長野県では、主にこの3つの杜氏集団が活動しています。もともとは地元の杜氏はいなかったため、越後杜氏や広島杜氏を雇って酒造りが行なわれていました。しかし大正8年に県主導で杜氏の育成が始まり、長野県にも杜氏が誕生しました。この3者は昭和25年に合同で杜氏組合を結成、現在は49名の杜氏が活動しています。
能登杜氏
能登半島を本拠とする石川県の杜氏集団です。江戸時代には酒造りを行なう出稼ぎ労働者を能登衆と呼んでいたようです。能登杜氏は大勢の職人たちを近江地方や山城地方に送り出しました。明治の中期には彼らは北海道や樺太に加え、朝鮮、満州、シンガポールなどアジアの広い地域で活躍していました。現在の杜氏は85名となっています。
大野杜氏
この杜氏は福井県大野がその本拠地で、この地域は精米士でも名を馳せていました。特に戦後には、京都の伏見や愛知の半田の酒造業社に出稼ぎに行く職人が多かったようですが、昭和23年に精米士を中心とした初の組合が誕生しました。その後も関東から中国地方までのいろいろな場所で働いていたようです。現在では人数がかなり減少してしまい、全組合員数は43名、そのうち杜氏はわずかに3名となっています。
越前糠杜氏
こちらも福井県の杜氏ですが、南条郡の河野村糠が拠点です。この地域では漁業が主に営まれていましたが、冬期は漁業ができなかったため、かわりに酒造りに携わるようになったのが始まりと言われています。昭和44年には組合が設立され、その最盛期には200名を超える杜氏を輩出しました。
丹後杜氏
京都府では兵庫県の但馬杜氏や新潟県の越後杜氏など、外から来た杜氏が多く活躍しているため、地元の杜氏として貴重な存在です。竹野郡丹後町がルーツで、明治41年には組合が結成されています。現在、組合員数は杜氏4名を含めて27名と少数ですが、研修や品評会といった活動に積極的に携わり、地元の酒造りに貢献しています。
丹波杜氏
兵庫県の丹波杜氏は日本三大杜氏のひとつで、灘の銘酒といえばこの杜氏です。丹波杜氏の始まりについては、ある記録に「宝歴5年、篠山曽我部の庄武右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となった」とあり、これは西暦で言えば1755年のことです。灘の酒には250年以上の歴史と伝統があり、それを受け継ぐ杜氏として、まさに酒造り界の中心的存在と言えます。現在の杜氏は55名です。
南但杜氏
こちらも兵庫県ですが、但馬の南に位置する山間部の地域を中心としています。大正10年に朝来郡酒造組合が結成されましたが、戦争により一時中断、その後昭和23年に組合が再開されています。全盛期となった昭和38年には杜氏45名と蔵人1836名が在籍していました。現在は南但杜氏組合となっており、7名の杜氏と70名の酒造従事者が活動しています。
但馬杜氏
美方郡を中心とした兵庫県北部の杜氏で、全国3位の杜氏数を誇ります。この辺りは積雪が多く、冬期は農業に適していないため、昔から出稼ぎとして酒造業に大勢が携わってきた地域です。明治44年の組合発足当時から現在に至るまで、酒造り界の発展と伝統の継承に貢献しています。
城崎杜氏
日本海に面し、海の幸に恵まれた城崎郡香住町の周辺を中心に酒造りに取り組んでいます。明治の中期には、京都や三重にも酒造りのために赴いていたようですが、その始まりはよくわかっていません。現在の組合は昭和23年に設立されています。自醸酒審査会を毎年開催したり、女性審査員による女性好みの酒の選定を行なったりして、伝統に加え新たな日本酒の可能性を探る取り組みにも熱心です。
備中杜氏
岡山県の杜氏です。その昔は児島杜氏と呼ばれる倉敷市児島の杜氏が中心でしたが、その数は減少の一途をたどります。代わって笠岡市寄島町や成羽町といったいわゆる備中地区のほうに杜氏が増加し、明治20年ごろには100名ほどとなり、備中杜氏と命名されました。明治30年ごろには備中杜氏組合が立ち上げられ、大正14年ごろには杜氏数が500名を超えるほどに成長しました。全盛期には関西地方だけでなく満州や朝鮮まで出向き酒造りを率いた実績があります。昭和10年代にも杜氏は350名ほどいたようですが、現在では27名に減少し、組合員の数も87名となっています。
広島杜氏
明治30年に軟水醸造法を発明したことで知られる三浦仙三郎氏が育成した広島県の杜氏です。この醸造法により、広島のお酒の質は飛躍的に良くなりました。三浦氏は三津村の杜氏を中心とした杜氏組合を立ち上げ、これが広島杜氏として知られるようになりました。現在、54名の杜氏が酒造りに従事しています。
石見杜氏
島根県の海沿いの街を中心とした杜氏のグループです。かつては浜田市美浜地区の美浜杜氏、浜田市周布地区の周布杜氏、そして益田市喜阿弥地区の喜阿弥杜氏という3つの杜氏が、農業や漁業の副業としての酒造りを行なっていました。昭和の初期にこの3者が団結して組合を作ります。当初は周布杜氏という名で統一しましたが、現在は石見杜氏と呼んでいます。規模は小さく、杜氏の数は5名となっています。
出雲杜氏
こちらも島根県にあります。出雲地方は日本書紀の記述から、日本酒発祥の地とも言われ、今も中国地方を代表する銘酒の産地です。積雪で農業を営めない冬に、松江や出雲、平田や大社に出向いて酒造りを行なったことが始まりとされています。出身地が秋鹿郡であることから秋鹿杜氏と呼ばれていましたが、現在は出雲杜氏となっています。
大津杜氏
山口県の北西部、日本海沿いの大津郡日置町を中心に活動する杜氏集団です。この地域は稲作が盛んで、同時に大勢が酒造りに携わっていました。杜氏組合は22名の杜氏とその他70名の組合員がおり、地元をはじめ山口県内の酒蔵で構成されています。
熊毛杜氏
熊毛杜氏は、山口県光市および熊毛郡出身の杜氏の総称です。戦前はかなり活躍しており、満州、朝鮮、上海の酒蔵の杜氏はほとんど熊毛杜氏だったと言われています。秋田・南部・新潟・丹波・但馬・広島の各杜氏と並んで七大杜氏と言われた時期もあったようですが、山陽地域のコンビナートの発展によって減少してしまいました。
土佐杜氏
高知県の杜氏です。以前は加美郡、安芸郡、幡多郡の3つの地域にそれぞれ杜氏組合がありましたが、昭和25年ごろにこの3つが統合して高知県杜氏組合となり、土佐杜氏と呼ばれるようになりました。四国の三大杜氏のひとつとしても知られています。現在は4名の杜氏を含めて合計65名が酒造りに携わっていますが、大正末期には3つの組合を合わせると500名を超えていたと言われています。
越智杜氏
愛媛県の越智郡宮窪町を拠点とする杜氏集団で、四国の三大杜氏のひとつです。越智郡杜氏組合に在籍する9名の杜氏が主に愛媛県内で活躍しています。
伊方杜氏
こちらも愛媛県にあります。西宇和郡伊方町を中心に西宇和郡杜氏組合が結成され、22名の杜氏が愛媛県内を中心に酒造りに励んでいます。前述の土佐杜氏、越智杜氏と合わせて四国の三大杜氏と言われています。
九州の杜氏
柳川杜氏、三潴杜氏、久留米杜氏、芥屋杜氏、肥前杜氏、唐津杜氏、小値賀杜氏、生月杜氏、平戸杜氏、熊本杜氏など
多くの杜氏がありますが、九州の酒造りは九州の杜氏たちを中心として行なわれています。現在、九州酒造杜氏組合というものが組織されており、九州全域の83名の杜氏を含む332名が加盟しています。中でも中心的存在と言えるのは、福岡県の南部を拠点とする柳川杜氏と三潴杜氏、および久留米杜氏です。
蔵元杜氏
最近では日本酒の醸造における様々な事柄が科学的に解明されてきて、各流派の違いは昔に比べると少なくなりつつあります。
近年では、杜氏の高齢化が進んで杜氏の数は減少傾向にあり、新しいタイプの杜氏が活躍するようになってきました。蔵元の社員や蔵元自らが杜氏となる、いわゆる蔵元杜氏や、大学で醸造学を学んだ若手の杜氏たちです。いずれにしても、このような杜氏たちとそのもとで働く蔵人たちによって日本酒の未来は築かれてゆくのです。
ここ数年人気の「獺祭【だっさい】」で有名になった山口県の旭酒造株式会社は、ITという情報技術とデータを基に醸造しており、杜氏が居ないことで知られています。
まとめ
このように日本の各地で、多くの杜氏集団がそれぞれの伝統や技術を駆使することにより、個性的な日本酒が数多く生み出されています。
今度お酒を楽しむ時には、どの杜氏の流れをくむ酒蔵のものなのか気にしてみてはいかがでしょうか。
日本酒の幅がまたひとつ広がるに違いありません。
写真資料
中尾醸造株式会社ウェブサイトより