「灘」(なだ)は日本酒の代表的な産地として知られ、灘の酒といえば良質な日本酒の代表と言っても過言ではありません。
酒造業界では通常、神戸市の東部から西宮市の今津あたりまでの大阪湾に面した12キロメートルほどの沿岸地帯を指して「灘」と呼んでいます。
この灘地方は5つに分けることができ、これを合わせて灘五郷といいます。
灘五郷の形成
灘地方における酒造りの歴史は非常に古く、1624年に西宮での醸造されたのが最初ですが、伝承では元弘・建武(1330年頃)から行なわれていたとされています。
室町時代にはすでに西宮・兵庫で醸造されるお酒の評価は非常に高くなっており、僧坊の酒として天下に名を馳せていた柳酒・南都諸白や天野酒・菊酒などと肩を並べていました。
灘酒の勃興期は明暦(1655年)から享保(1736年)までの60年ほどの期間で、この頃に創業して現在に至る老舗も数多くあります。
「灘」という名称が用いられるようになったのは、正徳6年(1716年)のことです。
明和年間(1764年頃)には「灘目」(なだめ)と呼ばれるようになり、この頃から灘の酒の隆盛が始まりました。
明和9年(1772年)には江戸積みの特権を持つ上方酒造業者の株仲間が結成されましたが、この頃までに灘目は上灘(現在の神戸市東灘区にあたり、旧兎原郡に属する地域)と下灘(現在の神戸市中央区にあたり、旧八部郡に属する地域)に分けられていました。
これに今津郷(現在の西宮市にあたり、旧武庫郡に属する地域)を加えた三郷が後の灘五郷を形成することになります。
当時は灘といえばこの三郷で、この地域が酒造業の中核を担っていました。
その後、酒造業の目覚ましい拡大に伴い、文政11年(1828年)に上灘は東組(魚崎)・中組(御影)・西組(新在家と大石)の3つ(三郷)に分けられました。
こうして、上灘の三郷と下灘、そして今津をすべて合わせて、灘五郷と呼ぶようになりました。
灘酒が栄えた理由 その1-立地
良質のお酒を醸造するには、高い精米度と低い気温の両方が必要です。
この点に関しては、灘は理想的な環境にありました。
この地域では、六甲山系から流れてくる夙川、芦屋川、住吉川、石屋川、都賀川、生田川といった川の流れが海岸に砂州を造りましたが、この砂州は良質な水が得やすいうえに、大きな蔵が建てられる理想の土地となりました。
また、これらの川の流れを利用して水車小屋を作り、それによって精米を行なうことによって、人力では不可能な精白度で精米をすることができました。
さらに、この地域は冬になると六甲颪(ろっこうおろし)と呼ばれる寒風がまともに吹き付けることでも知られています。
この寒気を取り入れるために酒蔵の棟は東西に長く伸ばされ、さらに北向きに窓が設けられていました。
このように、灘は良質な日本酒には欠かせない寒造りに非常に適した地域だったのです。
優れた運搬条件
良いお酒が造れても、それを出荷する体制が整っていなければ意味がありません。
灘はこの点でも恵まれていました。
日本酒の大消費地である江戸への輸送手段として最初は馬による陸上輸送が用いられていましたが、販売量の増加に伴って帆船による海上輸送へと輸送手段が変化してゆきました。
江戸の初期には大阪で船問屋がどんどん開業し、船の両舷に竹を菱形に組んで樽を安定させた菱垣回船(ひがきかいせん)や、さらに安定性があり船足が速いお酒の輸送を専門とする樽回船(たるかいせん)が用いられるようになりました。
灘は大阪にほど近いうえ、醸造場はそのほとんどが海沿いにあり、海上輸送を利用するうえで最適な地域でもあったのです。
丹波杜氏にあらざれば杜氏にあらず
人材の確保も重要な要因です。
当時の酒造りは杜氏と選ばれた蔵人たちが一団となって酒蔵で働いて行われていました。
彼らの多くは農繁期には地元で農業を営み、農閑期になると酒造りのために酒蔵にやってきますが、灘地方においては丹波・篠山地方の優秀な人材が豊富に確保できました。
特に杜氏は「丹波杜氏」と呼ばれ、酒蔵ごとに切磋琢磨しつつ、最高の酒米の持ち味を最大限引き出して旨い灘酒を作り上げていました。
その優秀さは「丹波杜氏にあらざれば杜氏にあらず」とまで言われたことからもうかがい知ることができます。
灘で活躍した丹波杜氏は近代においても、日本酒醸造の技術が遅れていた他の地方の酒蔵を指導する役割を果たすなど、今日の日本酒の発展に大きな貢献をしています。
機械化が進んでいる今でも、杜氏は灘の酒の味の決定者として重要な役割を果たし続けています。
丹波杜氏については「日本三大杜氏~日本酒を醸す杜氏集団と蔵人の役割と歴史~」で詳しく紹介しています。
灘酒が栄えた理由 その2-良質な原料
良質な日本酒を造るには、良質な酒米と良質な水が必要です。
この点に関しても、灘は理想的な環境にありました。
灘の名水 「宮水」
まず水については、有名な「宮水」(みやみず)の湧出が櫻正宗の六代目当主であった山邑太左衛門により発見されたことです。
櫻正宗と山邑太左衛門については「櫻正宗~日本酒史を語るには避けて通れない宮水の発見と協会一号酵母の頒布。これが正宗の元祖だ~櫻正宗株式会社」で詳しく解説しています。
これは西宮市の海岸からおよそ1キロメートルのところにある浅井戸から湧出しているもので、その成分は日本酒造りに最適なものとなっています。
この宮水の特徴としては、酵母の増殖に欠かせないリン酸成分が他の地方の水と比べて10倍も含まれていること、同様に酵母の増殖に必要なカリウム成分も多く含まれていること、清酒を着色させ香りを悪くする鉄分は逆に極めて少ないこと、塩分を適度に含んでいることなどが挙げられます。
その他ボロン、バナジウム、ルビジウムといった特異な成分が微量含まれており、これらが酵母の増殖に対する促進剤として酒造りに良い影響を与えていると考えられています。
このような優れた水が豊富に確保できたということが灘の酒にとっては重要なことでした。
ちなみに、科学的アプローチで同じ成分の水を作ろうとする試みはいまだ成功していません。
最高の酒米 「山田錦」
次に、原料となる酒米についてです。
灘地区では、近くに米どころ播州平野があり、そこで育った良質の米を大量に入手することができました。
中でも酒米としてその名が轟く「山田錦」は、灘の酒造りには欠かせない最高の酒米で、大粒で心白が大きく、宮水になじみやすいなどの、酒造りに必要な要素をすべて満たしていました。
心白とは米粒の中心部分にある固まったデンプン質のことで、山田錦の場合は宮水に漬けることでそれがゆっくりと溶けて麹菌が入りやすくなり、また麹が糖化しやすくなるうえ、米の形は崩れません。
その結果として、強いコシを持ったコクのある美味しい酒が造り出されることになります。
播州産の山田錦がなかったなら現在の灘酒もなかったでしょう。
灘酒が栄えた理由 その3-優れた技術
灘で酒造りをしていた丹波杜氏たちの技術が非常に高かったことも忘れてはなりません。
特に水車を利用して精米する方法は、当時としては精白の良さも生産能力も、群を抜くほど優れていました。
天保期(1830~1844年)には75~65パーセントの精米歩合が可能になっていたと言われ、これは人力ではほぼ不可能でした。
また、玄米ではなく白米のみを使い、それを細菌汚染の少ない寒期に集中的に醸造する手法である「諸白寒造り」も採用されていました。
良質の水と酒米に加え、こうした技術が優れた杜氏により活用され、灘酒を大量に造りつつもその品質が高められていったのです。
灘酒が栄えた理由 その4-高い経営能力
灘酒の成功は、蔵元たちの経営手腕によるものでもありました。
生産原価を意識し、原料米を大量に買い付け大量生産をすることで原価を下げる努力が払われていました。
当時の大消費地である江戸での販売に関しても、下り酒問屋による強力な販売網の支援を取り付け、どんどん売り上げを伸ばしていきました。
灘は蔵元の自由競争の場となり、それぞれの蔵元が技術や味など様々な分野で切磋琢磨し、そのことが灘の酒の品質をさらに高めました。
また、灘の蔵元は基本的には資本力が充実しており安定的な経営が可能となっていました。
時には経営危機に陥ることもありましたが、そのたびに団結して乗り切ってきました。
このような高い経営能力が、灘の酒のブランドを確固たるものにしたともいえるのです。
灘酒の特徴 「男酒」
灘の酒造りの特徴は、仕込みに硬水の宮水を使い、若めの掛麹を用いるところにあります。
発酵が活発に行われるため醪の日数は比較的短めとなっています。
でき上がったお酒は、新酒の間は香りともに舌触りがどことなく荒々しく男性的でおし味があり、腰のしっかりした酒質を持っています。
このような性質のお酒は、力のある青年を思わせるため「男酒」と呼ばれます。
男酒と女酒
一般に「男酒」というのは仕込水に硬水を用い、発酵を強く進めた短期醪から醸造されるやや酸の多い辛口のお酒のことを指します。
ちなみに「女酒」と呼ばれるものもあり、こちらは軟水を用い、穏やかに発酵させた長期醪から醸造される比較的酸の少ない甘口のお酒のことを指します。
女性の肌を思わせる滑らかさを持ち、線が細く飲みやすい性質を持っているため、「女酒」と呼ばれています。
ただし、女酒タイプは夏を越すと「秋落ち」といって酒質が低下してしまうことが多く見受けられます。
それとは対照的に「男酒」は夏を越すと貯蔵熟成を経て、荒さが見事に取れ、馥郁とした香りが漂い、丸みのある飲みやすいお酒に変貌します。
いわゆる六味(旨味・甘味・酸味・辛味・苦味・渋味)のバランスが整った酒質になります。
これぞ灘の酒 ~秋上がり~
こうして秋になってお酒の質が向上することを「秋晴れ」または「秋上がり」と呼びます。
仕込み水である宮水に負うところが大きいと考えられているこの「秋上がり」こそが、他では見ることのできない灘酒の特徴として高く評価されています。
成分にも注目してみると、灘の酒の特徴がさらに見えてきます。
エキス分中に占める糖の比率は小さく、タンパク質がアミノ酸まで分解しないペプチドの形でお酒の中に存在することが特徴と言われています。
こうしたことが要因となって香りが複雑に絡み合う、幅のある深い味わいを持つお酒になっています。
そして熟成によって一層調和が取れた喉ごしのよい、これぞ灘の酒という味へと進化するのです。
秋上がりについては「ひやおろしとは~秋上がり銘酒を楽しむ~」で詳しく説明しています。
灘五郷の歴史~灘酒が栄えた4つの理由~まとめ
日本酒の歴史や味、技術を語る上で「灘五郷」は外すことができないほど重要な位置を占めています。
日本酒の歴史については「日本酒の歴史~時代とともに変化する神酒、白酒黒酒、僧坊酒、般若湯、清酒~」で詳しく解説しています。
そして今日の灘酒があるのは、様々な要因がうまく重なり合ったことの結果です。
今後日本酒はさらにグローバルな展開を見せると思われますが、そんな時代に灘のお酒がどのように進化していくのか興味深く見守りつつ、1杯いただくことにしましょう。
灘五郷の酒蔵
灘五郷とは西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の五郷からなり、現在でも歴史ある酒蔵がたくさん立ち並んでいます。
ここでは、灘五郷の酒蔵を紹介します。
西郷
- 沢の鶴 (さわのつる) 沢の鶴株式会社
〒657-0864 神戸市灘区新在家南町5丁目1番2号
TEL.078-881-1234 - 金盃 (きんぱい) 金盃酒造株式会社
〒657-0043 神戸市灘区大石東町6- 3-1
TEL.078-871-5251 - 菊川 (きくかわ) 菊川株式会社 灘工場
〒657-0862 神戸市灘区浜田町1丁目2-10
TEL.078-821-4551 - 富久娘 (ふくむすめ) 富久娘酒造株式会社
〒657-0864 神戸市灘区新在家南町3-2-28
TEL.078-802-7800 - 月桂冠 (げっけいかん) 月桂冠株式会社 灘支店
〒657-0864 神戸市灘区新在家南町3丁目1-8
TEL.078-871-0324 - 辡 (べん) マルキン忠勇株式会社 神戸灘工場
〒657-0864 神戸市灘区新在家南町5丁目6-1
TEL.078-882-0001 - 福徳長 (ふくとくちょう) 福徳長酒類株式会社 関西支店
〒657-0038 神戸市灘区深田町4-1-1-652
TEL.078-843-3771
御影郷
- 大黒正宗 (だいこくまさむね) 株式会社安福又四郎商店
〒658-0044 神戸市東灘区御影塚町1-5-10
TEL.078-851-0151 - 福寿 (ふくじゅ) 株式会社神戸酒心館
〒658-0044 神戸市東灘区御影塚町1-8-17
TEL.078-821-2911 - 灘泉 (なだいずみ) 有限会社泉勇之介商店
〒658-0044 神戸市東灘区御影塚町1丁目2-7
TEL.078-851-2722 - 瀧鯉 (たきこい) 木村酒造株式会社
〒658-0045 神戸市東灘区御影石町1-1-5
TEL.078-851-0260 - 剣菱 (けんびし) 剣菱酒造株式会社
〒658-0046 神戸市東灘区御影本町3-12-5
TEL.078-811-0131 - 菊正宗 (きくまさむね) 菊正宗酒造株式会社
〒658-0046 神戸市東灘区御影本町1-7-15
TEL.078-851-0001 - 白鶴 (はくつる) 白鶴酒造株式会社
〒658-0041 神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5
TEL.078-822-8901
魚崎郷
- 国冠 (こっかん) 国冠酒造株式会社灘支店
〒658-0026 神戸市東灘区魚崎西町2-2-5
TEL.078-851-2417 - 大東一 (だいとういち) 田端酒造株式会社 灘工場
〒658-0025 神戸市東灘区魚崎南町5丁目5-27
TEL.078-411-0766 - 松竹梅 (しょうちくばい) 宝酒造株式会社 灘工場
〒658-0027 神戸市東灘区青木2丁目1-28
TEL.078-452-2851 - 櫻正宗 (さくらまさむね) 櫻正宗株式会社
〒658-0025 神戸市東灘区魚崎南町5-10-1
TEL.078-411-2101 - 浜福鶴 (はまふくつる) 株式会社浜福鶴銘醸
〒658-0025 神戸市東灘区魚崎南町4丁目4-6
TEL.078-411-8339 - 酒豪 (しゅごう) 豊澤酒造株式会社
〒658-0025 神戸市東灘区魚崎南町4-6-10
TEL.078-451-1414 - 金紋道潅 (きんもんどうかん) 太田酒造株式会社 灘工場
〒658-0022 神戸市東灘区深江南町2丁目1-7
TEL.078-411-9456
西宮郷
- 島美人 (しまびじん) 北山酒造株式会社
〒662-0947 西宮市宮前町8-3
TEL.0798-33-2121 - 灘一 (なだいち) 松竹梅酒造株式会社
〒662-0942 西宮市浜町13-10
TEL.0798-34-1234 - ツル正宗 (つるまさむね) ツル正宗酒造株式会社
〒662-0941 西宮市浜脇町6-9
TEL.0798-22-3823 - 富貴 (ふうき) 合同酒精株式会社 灘西宮工場
〒662-0942 西宮市浜町2-29
TEL.0798-23-5701 - 白鹿 (はくしか) 辰馬本家酒造株式会社
〒662-8510 西宮市建石町2-10
TEL.0798-32-2701 - 花房 (はなふさ) 花房酒造株式会社
〒662-0927 西宮市久保町13-9
TEL.0798-33-5453 - 寶娘 (たからむすめ) 大澤酒造株式会社
〒662-0922 西宮市東町1丁目13-28
TEL.0798-33-0287 - 多聞 (たもん) 多聞酒造株式会社
〒662-0922 西宮市東町1-13-11
TEL.0798-33-8000 - 日本盛 (にほんさかり) 日本盛株式会社
〒662-8521 西宮市用海町4番57号
TEL.0798-32-2501 - 灘自慢 (なだじまん) 国産酒造株式会社
〒662-0922 西宮市東町1丁目12-34
TEL.0798-34-3456 - 金鹿 (きんしか) 灘酒造株式会社
〒663-8203 西宮市深津町1-7
TEL.0798-65-3221 - はっこん はっこん酒造株式会社 西宮工場
〒663-8202 西宮市高畑町1-23
TEL.0798-66-0431 - 白鷹 (はくたか) 白鷹株式会社
〒662-0942 西宮市浜町1-1
TEL.0798-33-0001
今津郷
- 大関 (おおぜき) 大関株式会社
〒663-8227 西宮市今津出在家町4-9
TEL.0798-32-2111 - 白雪 (しらゆき) 小西酒造株式会社 西宮工場
〒663-8226 西宮市今津港町1-18
TEL.0798-34-0001
『國冠』酒造(株)・灘支店の廃業に至る経過状況を調査いたしております。現在、埼玉県に於ける九星酒造(株)として入間川本店
川越支店、田面澤支店、霞ヶ関支店、坂戸支店、の各支店の状況、
蔵人、他等の調査はほぼ完了致しました。
残るのは、埼玉より『國冠』酒造(株)・灘支店に集約以降の状況が調査の手掛かりがつかめません。どうぞどなたか御協力願います。 敬具