日本酒の歴史~時代とともに変化する御神酒、白酒黒酒、僧坊酒、般若湯、清酒~

sake_g_moromi_2-1日本酒というのは実に懐の深いお酒です。

そのままでも、冷やしても、燗をしても美味しくいただくことができ、しかもそれぞれに異なった味わいがあります。

どんな肴や料理にも合わせることができるほどその種類も豊富です。

昨今では海外でも日本酒がSAKEとして高く評価されるようになり、一流のレストランでも採用されるほど人気となっています。

日本酒のルーツは非常に古く、時代の移り変わりとともに日本酒そのものも変化してきました。

ここでは日本酒の歴史を4つに分け、その変遷をたどってみたいと思います。

 

古代の日本酒

67cfb477dfb32cb1918d6c3b271ab055_s古代社会において農耕の文化の定着にともない、様々な神事が行なわれるようになりました。

収穫の際にはそのことを神に感謝するとともに、翌年の豊穣祈願も行なわれました。

このような祭りの儀式は世界中にも見られ、たいていは最初に収穫された初穂と、その初穂で醸造した酒を神に捧げるという形で行なわれていました。

そのような祭りの儀式では様々な種類の穀物が用いられてきましたが、日本では古代から穀物といえば米が中心であり、当然のこととして米を原料として酒が造られました。

こうしたことから日本酒の原型となった酒は神酒、つまり神に捧げるための酒であったと考えられています。

 

神酒の誕生

三神合祭殿大嘗祭御神楽之式_戦前発行の「羽黒山名勝絵葉書」このような神酒は神嘗祭(天皇がその年の新穀を伊勢神宮に奉る祭り)、新嘗祭(収穫祭にあたり、毎年11月23日に天皇が五穀の新穀を天神地祇に進め、自らもこれを食し収穫に感謝する祭り)、大嘗祭(天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭のこと)、さらには秋祭りなどでも醸造されてきました。

写真は昭和天皇の大嘗祭での神楽の様子です。

平安時代の文献である「延喜式」には、大嘗祭で用いられる白濁した「白酒【しろき】」と、草木灰で着色した「黒酒【くろき】」の製法についての記述があり、古代の日本酒がどのような物であったかを知る手掛かりとなっています。

その製法は基本的には現代まで受け継がれており、蒸した米である蒸米と、麹菌を増殖させた麹、そして水から造られています。

現代でも平成2年11月に今上天皇が執り行った大嘗祭の後の大饗の儀で斎田米のご飯と同じ米から醸造した「白酒」「黒酒」が振舞われました。

一般的に古代の日本酒は水の割合が低いために粘度が高く、どろりとしています。

今で言う濁り酒のようなもので、平安時代の一般庶民もこのようなお酒を飲んでいたようです。

現在「どぶろく」(濁り酒)は法律上一般家庭における醸造が禁じられていますが、ちょうどそのようなものであったと考えられます。

 

中世の日本酒

20141102mausanmiyagesake中世とは、室町時代から戦国時代の末期ごろのことを指します。

この時代は僧坊酒の全盛期でした。

僧坊酒とは、寺で造られていた酒のことで、寺院内の神社に祀られた神に捧げるために、あるいは正月酒などに用いるために醸造されたのがその始まりといわれています。

仏僧たちの間では、酒は五戒により禁じられていましたが、酒として飲むのではなく、薬として飲むという意識から「智恵のわきいずるお湯」という意味を持った「般若湯」という隠語で呼び親しんで半ば公然と造られていたといいます。

多くの僧侶がおり、水にも恵まれ製造技術の高かった寺院の酒は、貴重な品として京に運ばれ賞味されました。

河内の天野山金剛寺、奈良興福寺の諸塔頭(塔頭というのは元来は高僧の墓のことで、その後その近くに小さな庵が建てられ弟子たちがそこを守る個別の寺院となったものです)、近江の百済寺などが有名です。

現在では僧坊酒を今風に再現復刻している酒蔵もあります。

 

技術革新~諸白づくり~

DSC02361日本酒の製造技術における3つの飛躍的な革新があったのはこのころのことです。

その1つ目は「諸白づくり」と呼ばれる手法です。

これは、蒸米と麹の両方に精白米を使用する製法のことです。

これにより、雑味が少なくなり大幅に品質が向上しました。

このようにして造られた酒は諸白と呼ばれ、優れた品質であることの証しとなっていました。

その中でも奈良で仕込まれていた「南都諸白」は織田信長をはじめ戦国時代の大名たちから非常に好まれていました。

 

技術革新~寒づくり~

2つ目の技術革新は「寒づくり」と呼ばれる製法です。

現在は酒造りといえばもっぱら冬が当たり前ですが、当時は真夏を除いて一年中作られていました。

最も寒い時期に酒造りを集中して行なうことで、多少の時間はかかるものの品質の優良な酒を造ることができるようになりました。

 

技術革新~段掛け~

飛躍的な革新の3つ目は「段掛け」と呼ばれる製法です。

これは仕込みの際に全量を一気に行なうのではなく、蒸米と麹米と水を数回に分けて加えていき、段階的に醪の量を増やしていくものです。

このようにすることで発酵の過程をコントロールし、安定した品質の酒を造ることができるようになりました。

 

清酒の誕生~奈良興福寺~

このころまでには、木製の大桶が製作されるようになり、十石(1,800リットル)規模の酒造りが可能になりました。

それまでは甕や壺などが使用されており、その容量は大きいものでも二石(360リットル)程度であったことを考えると、これも大きな変化といえます。

また、濁り酒が中心だったものが、次第に清酒【すみざけ】へと移行していったのもこの時期のことです。

このような新たな技法のほとんどが奈良興福寺の諸塔頭において開発されたことから、酒造りの本流は奈良にあると言われています。

この技術はやがて関西の堺から伊丹、池田、西宮、灘といった地域へ伝えられていくことになります。

しかしながら寺社で酒を製造する僧坊酒(般若湯)は、江戸時代に入ると幕府による酒造統制の強化とともに徐々に衰退していくことになります。

 

江戸時代の日本酒

江戸時代の初期には、すでに現在とほとんど変わらない製造法が確立されていました。

酒造りの中心はやはり上方で、そこから大量の酒が船に積まれて江戸へ運ばれていました。

いわゆる下り酒です。

流通量は非常に多く、寛政の改革の頃には関東の財政を保護する目的で幕府が改革に乗り出したほどでした。

その際、関東の地元酒屋を優遇して、安くて上質な酒を供給させようと「御免関東上酒」なるものを編み出しますが、下り酒の品質には到底かなわず失敗に終わってしまいます。

江戸時代には経済が米で回っていたこともあり、酒の生産量は米が豊作であったか、それとも凶作であったかによって大きく変化しました。

実際に元禄、天明、天保のいわゆる3大飢饉の際には、酒の生産は真っ先に制限されることになりました。

江戸時代初期の酒を、参考文献をもとに復元したお酒は、非常に甘く濃厚だったと言われています。

しかし江戸っ子は辛口の酒を好んでいたようです。

その代表が伊丹の「剣菱」などで、「すき腹へ剣菱えぐるやうにきき」という川柳も残されています。

 

灘流の登場

幕末になると、とりわけ灘の酒の品質と技術が傑出するようになります。

灘流の仕込みは「十水の仕込み」と言われ、原料の蒸米に対する仕込み水の比率が他と比べて高く、結果として発酵がよく進み、割り水の工程において水で割っても味が崩れない酒を造りだしていました。

水質も良く、特に現在の兵庫県西宮市の西宮神社の南東側一帯から湧き出している水は「宮水」と呼ばれ、灘の酒造に欠かせない名水として知られています。

灘の酒蔵は海に面しており、江戸への出荷にたいへん都合が良かったこともこの地域の酒造りの発展に寄与しました。

 

明治以後の日本酒

明治以降の酒蔵では大量生産が一般的でしたが、いろいろな問題がたびたび起こりました。

例えば、伝統的な生酛による酛づくりはかなり難しいため、仕込みに失敗してしまうことがよくありました。

さらに、低温殺菌法である「火入れ」も完全なものとは言えず、大規模な酒の腐造や腐敗がしばしば生じていました。

こうした現状を打破するため、明治37年(1904年)に大蔵省醸造試験所が設立され、国の主導で醸造法を改良するための研究が開始されました。

 

速醸法の開発~江田鎌治郎~

やがて江田鎌治郎という後に有名になった技師により「速醸法」が開発されます。

これは、乳酸菌の増殖によって乳酸を生成させる方法ではなく、乳酸そのものを添加することにより、わずか数週間で速くて安全に、しかも確実に酛ができるという技術です。

火入れの過程も改良され、瓶に詰める前に火入れするのではなく、瓶詰めした後に火入れする「壜詰火入れ」という技法が開発されました。

こうして日本酒の品質は非常に安定したものとなっていきました。

その後の日本酒は、基本的に国の指導に基づいて醸造されるようになります。

結果として広島、秋田、熊本などの比較的酒造りの歴史の浅い地方の酒も飛躍的に品質が向上し、品評会ではたびたび上位に入賞するようにもなりました。

 

個性を失った日本酒

しかしながら、日本酒の品質と安全性が高まった反面で、日本酒の産地による個性の違いが薄まってしまい、画一的な味わいになってしまったという指摘もなされています。

また、日本酒の原料が主食である米だということが災いし、米不足となった戦中戦後には、米を使用しない合成清酒や、醸造用アルコールとブドウ糖や酸味料などで増量した三倍増醸酒などが幅をきかせ、日本酒離れを招いてしまう残念な結果となりました。

 

まとめ

a139a465d54f0820136f20c4acdf2310_sこのように、時代の移り変わりとともに日本酒そのものも変化してきたわけですが、多様性が理解され、本物志向が強まった現在では、実にさまざまな種類の日本酒を楽しむことが可能になりました。

濁り酒や甘口の酒から、香りに特徴のある吟醸酒や伝統的な生酛造りにこだわった辛口の酒まで、自分の好みに合わせて選択することができます。

新たな日本酒の時代が始まったとも言えるでしょう。

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