八百万の神々がおわす日本、万物に神が宿るとする思想ですね。
山や岩にも神が宿るなら、とうぜん酒の神がいても、おかしくはありません。
酒造りの神も、同様です。
また、酒と酒造りにまつわる神は一人ではないことも、日本の神様らしい気がします。
造酒の祖神・大山祇神(オオヤマツミノカミ)
別名「酒解神(サカトケノカミ)」。
初めて酒を造り、神々に献じたとされる神です。
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が、邇邇藝命(ニニギノミコト)との子を産んだときの出来事。
父神である大山祇神(オオヤマツミ)が大変よろこび、狭名田の茂穂で天甜酒(あめのたむざけ)を造り、ふるまいました。
狭名田は、ニニギノミコトが初めて水穂を作った水田。
娘婿の作った米で、酒を仕込んだのですね。
この逸話から、オオヤマツミは酒造りの祖神として、祀られるようになりました。
また、酒造りのきっかけを与えたコノハナサクヤヒメは、酒解子神(サカトケコノカミ)として扱われています。
孫には、ヤマタノオロチの生贄とされかけた、櫛名田姫(クシナダヒメ)がいることから、酒とは切っても切れない縁にある神。
ヤマタノオロチを酔わせるための、八塩折之酒が、すぐに準備できたのも納得です。
酒解子神・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)
大山祇神(オオヤマツミ)の娘で、酒解子神(サカトケコノカミ)とも呼ばれる神。
一説では、最初に米を使って酒を造ったのはコノハナサクヤヒメとも言われています。
「日本書紀」を紐解くと、「狭名田の田の稲を以て、天甜酒を醸(か)みて嘗(にいなえ)す、又淳浪田(ぬなた)の稲を用て、飯を為(かし)きて嘗す」という記述が見つかります。
ニニギノミコトとの子の誕生を祝うために醸された、天甜酒。
「天の美味い酒」を意味する酒を仕込んだのは、オオヤマツミかコノハナサクヤヒメか。
ちなみ、合作であるという説もあります。
また、米を使って最初に酒を醸した神として、神吾田鹿葦津姫(カムアダカシツノヒメ)の名前も挙げられます。
これは、コノハナサクヤヒメの別名。
他にも、神吾田津姫(カムアタツヒメ)、鹿葦津姫(カシツヒメ)と表記されることもあります。
酒造技術を広めた神・少彦名神(スクナヒコナノカミ)
全国から蔵元や杜氏が集まり、酒造祈願祭が行われる三輪の大神(おおみわ)神社。
酒造りが始まった地としても有名で、スクナヒコナノカミは、祭神として祀られています。
スクナヒコナノカミが酒造の神とされる理由は、「古事記」の「酒楽歌(さかほいのうた)」にあります。
神功(じんぐう)皇后が、皇子の帰還をねぎらう席で、スクナヒコナノカミの名を歌に出したことがきっかけです。
この御酒は わが御酒ならず 酒(くし)の司(かみ) 常世に坐(いま)す 石たたず 少名御神(スクナミカミ)の 神壽(かむほ)き 壽き狂おし 豊壽き 壽き廻し 獻りこし御酒ぞ 乾さず食せ ささ
「この酒は私が造ったではありません。常世にいる酒の神、スクナヒコナノカミが造った酒です~」と勧めています。
スクナヒコナノカミは医薬の神でもあるので、「酒は百薬の長」というのも、嘘ではないかもしれませんね。
大神神社の摂社である「活日(いくひ)神社」では、杜氏の神「タカハシイクヒノミコト」を祀っています。
夢のお告げで酒の奉納を命じられ、一晩で酒造りをしたとされる神。
此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久
という歌を詠んだと伝えられています。
「私が神酒を醸したのではなく、大和の国をつくった大物主神(オオモノヌシノカミ)が醸したものです。幾世までも久しく栄えますように」という意味ですね。
ちなみに、オオモノヌシノカミは、大神神社の主神。
国づくりの神・大国主神の和魂であると考えられています。
スクナヒコナノカミが、協力していた神です。
日本酒の蔵元が、杉玉を軒先につるすのは、オオモノヌシノカミの力が、杉に宿ると信じられていたためと言われています。
酒造りの神様たち~大山祇神・木花咲耶姫・少彦名神~ まとめ
日本神話では、天岩戸に引きこもった天照大神(アマテラスオオミカミ)を連れ出すために、神々が協力して酒宴の準備をしたと言われています。
どの神が酒を用意したのかは定かではありませんが、今回ご紹介した神々の一人なのかもしれませんね。