戦国の武将はその多くが酒好きで知られていますが、とりわけ有名なのは越後国(現在の新潟県に当たります)の春日山城を本拠とした上杉謙信でしょう。
上杉謙信は、19歳という若さで家督を継ぎますが、当時は長尾景虎という名を用いていました。
越後国の豪族を束ねていた彼のところに、関東管領であった上杉憲政が北条氏に追われて逃げ込んできた時に、関東管領職を譲られ上杉の性を名乗ることになります。
後に上杉政虎と改名、さらにその後に室町幕府の将軍である足利義輝から偏諱を受けて上杉輝虎と名乗ることになります。
後世に知られるようになった謙信という名はそのさらに後に名乗った法号でした。
上杉謙信は武神として知られる毘沙門天の熱心な信仰家でもあり、本陣の旗印にも毘沙門天の頭文字の「毘」を使ったことで知られています。
救援要請に応え続けた上杉謙信
上杉謙信は「戦国の神将」と称され、恐れられた武将でした。
かつて話題となった映画「天と地と」の中では、有名な川中島の合戦において、宿敵である武田信玄の本陣に単騎で斬り込むといった無謀とも思える戦いぶりが描かれています。
上杉謙信は、甲斐の武田信玄と相模の北条氏康という強敵を同時に相手に回して戦っていたことでも知られる猛将です。
武田信玄については言わずもがなというところですが、北条氏康も相当の強者で謀略に長けており、上杉謙信が出陣しにくい冬期をあえて狙って関東の諸州に侵攻を繰り返しています。
しかしながら、上杉謙信は関東の豪族たちからの救援要請を受けると、真冬であるにもかかわらず、三国峠を越えて出陣します。
道路も整備されていない雪の三国峠越えはそれは大変な行軍であっただろうことは容易に想像できますが、そうした苦難をものともせずに兵馬を進めていった上杉謙信の猛将ぶりが際立つ逸話です。
地理的な面から見ると、行軍の途中には現在の越後湯沢温泉や猿ヶ京温泉などが存在しており、上杉謙信はこのような温泉をうまく活用したのではないかと考えられています。
上杉謙信はなぜ大天狗とよばれたのか?
冬の行軍に役立ったであろうことがもう一つあります。
お酒を飲んで暖を取ったのです。
上杉謙信が無類の酒好きであったことは、上杉家や上杉神社に今なお保管されている愛用の杯を見てもわかります。
そのどれもが直径12cmほどの大盃で、その中には「馬上盃」といわれる珍しい物もあります。
恐らくは、馬上でも頻繁にお酒を飲んでいたと推測できます。
近年の研究では、遺品の甲冑の大きさなどから、上杉謙信の身長は五尺二寸ほど(156cm程度)であったことがわかっています。
当時の男性の平均身長は159cm程度であったので、屈強な武将たちと比較したときにはどちらかというと小柄な部類に入ることになります。
「音に聞こえし大峰の五鬼、葛城高天の大天狗にや」などという記述から、上杉謙信が大天狗扱いされていることが分かりますが、もしかするとこれはその体格のためではなく、その酒の飲みっぷりと酔った顔色からそのように呼ばれるようになったのかもしれません。
上杉謙信は肴を食さず
ところで、上杉謙信は酒を飲む際に肴を食べなかったと言われています。
ご存知のように、肴は飲んだ酒が体に与える悪影響を和らげる働きがあります。
ひたすら酒ばかりをたくさん飲んでいれば、当然ながら身体によくないことは明らかです。
上杉謙信は頑強な体の持ち主ではありましたが、天正6年の3月、織田信長が本能寺において倒れる4年ほど前に、49歳の若さで亡くなります。
上洛に備えて上杉軍団を春日山城に集結させ、数日後には出陣する段取りとなっていたさなかのことでした。
もちろん、上杉謙信の死因については諸説あり、彼が誅殺した重臣の柿崎景家の霊が取り憑いて狂死したという説や、織田信長が放った忍者に厠の下から槍で刺し殺されたという説が知られていますが、いずれも確証に乏しく、自然に考えると毎日の度を過ぎた大酒が原因ではないかと思われます。
上杉謙信は織田信長を助けたって本当!?
ちなみに、上杉謙信があと数年でも元気であったなら、歴史はずいぶんと違ったものになっていたはずです。
上杉謙信が上洛を開始すれば、越中~加賀~越前~近江というルートをとることになるわけですが、その途中には織田信長がいるのです。
当然、織田信長との戦となるわけですが、当時の織田信長の兵力ではとうてい上杉謙信にはかなわなかったであろうと目されています。
見方を変えると織田信長はたいへんに運がよかったということになるのかもしれません。
言い方をかえれば「上杉謙信が上洛前に亡くなったために織田信長は助かった」ともいえます。
これが「謙信が信長」を助けたという話の発端ではないでしょうか。
越乃景虎
上杉謙信がかつて活躍した地である新潟には、「越乃景虎」というお酒があります。
新潟県栃尾市の諸橋酒造株式会社が造るお酒です。
その酒銘は上杉謙信の元の名である長尾景虎から取ったものです。
このお酒を盃になみなみとついで飲みながら、戦国の世に想いを馳せてみるのも、時にはよいのではないでしょうか。
それでも、お酒を飲む時には上杉謙信のような飲み方ではなく、旨い肴と共に適量のお酒をお楽しみください。
酒豪列伝~上杉謙信~大天狗と呼ばれた馬上盃をもつ神将!まとめ
こよなく酒を愛し、生涯不犯の誓いをたてて数多くの合戦を敗れることなく切り抜けてきた戦国の神将も、最後にはお酒によって命を落としました。
上杉謙信の死後、その辞世の句と言われるものが見つかっています。
一期の栄 一盃の酒
四十九年 一酔の間
生を知らず また死を知らず
歳月ただこれ 夢中のごとし
その真偽のほどは定かではありませんが、この句には上杉謙信の酒に対する想いが込められていることは間違いありません。