
「水はムリだけど、酒なら何杯でもイケる」、そう思ったことはありませんか?
自分の限界まで挑戦してみたいけれど、急性アルコール中毒が怖いし、ふところも寂しくなるので諦めてしまいがち。
しかし、江戸時代には、そんな心配もなんのその。
老若男女がこぞって楽しんだ、「酒合戦」と呼ばれる呑み比べ大会がありました。
呑み比べは贅沢?
現代だと、いつでも飲める酒ですが、昔は特権階級だけが口にできるものでした。
しかし、大量生産が可能になったことで、徐々に庶民でも楽しめるようになっていきます。
そんな庶民が、飲酒という点で贅沢ができるようになったのが、戦もなくなった江戸期のことです。
酒を大量に生産する技術力、まとまった量を購入できる庶民の経済力、飲酒を楽しめる精神的余裕などが重なって、大々的な「呑み比べ」が可能になったのです。
江戸の庶民が楽しんだ「呑み比べ」には、さまざまなものがありますが、江戸の食文化史上でも有名なのが「千住酒合戦」。
1815年に開催された大会なので、すでに灘や伊丹などの名醸造地の酒が、下り酒として江戸に入っている時代のことですね。
還暦祝いの呑み比べ大会
千住酒合戦が行われたきっかけは、中屋六右衛門という人物の還暦祝い。
平均寿命が短い時代だったので、還暦を迎えたことを、大々的に祝いたかったのでしょう。
性別も身分も年齢も問わず、老若男女、はては旅人までもが参加した、大きな呑み比べ大会となりました。
大会の形式は、二組に分かれての対戦式。
たくさん飲んだほうが勝ちという、シンプルなルールのもと行われたようです。
ルールがルールなだけに、準備された杯の種類も豊富。
いちばん小さいもので五合(約900ml)、もっとも大きいもので三升(約5L)のものが使われたと記録されています。
最大サイズの杯なんて、飲み干せないのでは?と心配になりますが、七升飲んだツワモノや、女性でも二升以上も飲みきった酒豪が続出しています。
江戸時代の人間は、現代人以上に、酒に強かったのでしょうか。
酒豪の秘密は
実は、江戸時代のお酒は、割り水で飲むことが前提でした。
現在の日本酒よりも、風味にクセがあったため、そのままだと呑みづらかったようです。
当時、販売されていた酒のアルコール度数は、平均4~5度ほど。
ちなみに、現在の日本酒は、15~16度ほどなので、その差は歴然ですね。
三升を飲み干しても、三分の一だと思えば少ない・・・?
どちらにしても千住の呑み比べ大会は、見物客にまで酒が振る舞われ、大盛況で終わりました。
会場のあちこちで、終日飲めや歌えやの大騒ぎ。
全員が酔っぱらいだと考えれば、迷惑でもなんでもないかもしれません。
幸い、急性アルコール中毒などで死者も出ませんでした。
昏睡したり、二日酔いになったりといった被害はあったようですが。
酒は飲んでも飲まれるな、ですね。
酒豪列伝~千住酒合戦~ まとめ
大会当時の江戸の町には、約2000件の居酒屋が軒を連ねていたことから、江戸っ子の酒好きが窺えます。
アルコール度数が低いからこそ、できた無茶かもしれませんが、賑やかな時代だったのでしょう。
現代の日本酒では、真似ができない(してはいけない)古きよき時代の大会でした。