本多忠朝

酔った拍子にやらかした・・・酒飲みであれば、一度は陥る事態かもしれません。

同じ轍は踏まないよう、「そうだ、禁酒をしよう!」と思った人に支持されているのが、本多忠朝。

酒で失敗し、酒封じの神として祀られるようになった戦国の武将です。

 

本多忠朝という武将

本多忠朝

徳川家康の重臣として名高い、本多忠勝の次男。

関ヶ原の戦いで、初陣ながらも刀が曲がり鞘に収まらなくなるほど奮闘。

「さすが忠勝の息子」と、家康から言葉をもらうほどの実力を見せます。

人格面でも優れていたようで、難破したスペイン戦艦の乗組員317名を手厚く保護し、忠勝の遺産1万5000両を兄に譲ったなどの逸話が残っています。

武将に酒のイメージはつきものですが、忠朝も例に漏れず、相当の酒好きだったと言われています。

 

大阪冬の陣での不覚

酒封じの神

酒好きの本多忠朝が、酒が原因で大きな失敗を犯してしまうのが、1614年の大阪冬の陣。

酒を飲んでいたため、不覚をとり、敗走する結果となってしまったのです。

信頼を得ていた家康からも、「柄がでかいだけで使えぬ奴」と、キツイ言葉を投げつけられることに。

武将として汚名を返上すべく、翌1615年の大阪夏の陣では、徳川先鋒を名乗り出ます。

先陣を切って戦う忠朝は、狙撃を受けて落馬するも、果敢に敵を討ち取りました。

しかし、最終的には全身に20ヶ所あまりの傷を受け、戦死。

死の間際に、酒での失敗を悔いて、死後は同じように酒で失敗する者を助けたいと誓ったと言います。

また、「憎むべきは酒なり。今後わが墓に詣でるものは、必ず酒嫌いとなるべし」と言い残したことから、「酒封じの神」として祀られるようになりました。

そんな本多忠朝の墓があるのは、大阪府大阪市にある一心寺。

今でも、禁酒を誓う人が、酒嫌いになることを願って詣でています。

本多忠朝の墓

住所:大阪府大阪市天王寺区逢阪二丁目8番69号
電話:06-6771-0444
最寄駅:
JR大阪環状線・天王寺駅
大阪市営地下鉄 御堂筋線・天王寺駅
近鉄線・阿倍野橘駅
公式サイト:https://www.isshinji.or.jp/

 

断酒祈願をするには

本多忠朝の墓所には、禁酒を願いに訪れた人が奉納したシャモジが見られます。

祈願用のシャモジ(1本300円)を、墓所の壁面に掛けて、お参りしましょう。

祈願回向も受け付けています。

一心寺のしゃもじ

 

まとめ

酒封じの神となった本多忠朝。

大阪夏の陣では、戦死こそしましたが、生き残った部下に家康が感状を与えるなどしています。

立派に汚名返上を果たしていたのですね。

酒での失敗を取り戻すご利益もありそうです。

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