酒豪列伝~雷電爲右エ門~陳景山も驚嘆した相撲史上最強の力士

雷電爲右エ門といえば、その圧倒的な戦績と記録、伝説や逸話などから史上最強の力士と言われます。

「横綱力士碑」を建立した12代横綱の陣幕久五郎も雷電を「無類力士」としてこの碑に顕彰したほどです。

また、雷電は酒に強かったことでも知られ、相撲界の酒飲みとしても伝説の存在となっています。

 

勝率96.2% 相撲史上最強の力士 ~雷電爲右エ門~

雷電爲右エ門(雷電為右衛門とも書きます)は、1767年に信州国小県郡大石村(現在の長野県東御市にあたります)の豪農の家に生まれました。

本名は関太郎吉といいました。

1784年、関太郎吉が18歳の時に、信州へ巡業に来ていた江戸相撲の浦風林右衛門の門弟となって江戸へ上り、江戸においては西大関であった谷風梶之助の内弟子になります。

その後、出雲国松江藩松平家のお抱え力士となり、松江藩ゆかりの四股名である「雷電」を与えられ、その時から「雷電爲右エ門」と名乗るようになります。

雷電の体格については諸説ありますが、身長197cmで体重172kgという筋肉質な巨漢だったと言われています。

1790年に関脇付け出しで初土俵を踏みますが、いきなり8勝2預(預とは昭和期に廃止された制度で引き分けを指します)で優勝してしまいます。

1795年に29歳で大関に昇進、1811年に45歳で引退するまでの16年間、27場所にわたって大関を務めました。

ちなみに当時、横綱は名誉称号であり、番付としては大関が最高位でありました。

21年間(江戸本場所在籍36場所)の現役生活における通算黒星はわずかに10でその勝率はなんと96.2%、まさに大相撲史上最強の力士と言えるでしょう。

雷電については、「閂」という技によって八角政右エ門の腕がへし折られたという逸話が残っているほか、そのあまりの強さに「鉄砲(突っ張り)」「張り手」「閂」「鯖折り」という技の使用が禁じられてしまったともいわれています。

 

酒豪 ~雷電爲右エ門~

土俵上の強さも異色でしたが、酒も非常に強かったと言われています。

享和2年(1802年)の長崎巡業の際には、中国の学者で李白の生まれ変わりとも噂された酒豪の陳景山と飲み比べをしたそうです。

この時、陳景山は1斗(18リットル)を飲んでギブアップしますが、雷電はそこからさらに1斗、合計でなんと2斗(36リットル)を飲み干したうえ、高下駄を突っかけ傘を差して雨の中を平然と宿へ帰ったことから、その酒の強さは相当のものがあったことが分かります。

翌日の夕方まで寝込んでしまった陳景山は、雷電の酒豪ぶりに驚嘆して、絵と書を贈ったと言われています。

このように雷電は相当な酒飲みでもあったようですが、そんな雷電が負けた取り組みを分析すると、引き技と思われる決まり技が多く、その原因としては大酒と自信から来る油断が影響していたであろうことが推測されます。

 

酒樽と枡と盃

雷電の父であった半衛門は身体こそ小さかったものの相撲と酒は強かったといわれています。

その父のために雷電が大関時代に建てた墓石が、今も長野県東御市に残されていますが、そのデザインは酒樽と枡と盃をかたどったもので、親子ともども酒好きであったことがうかがえます。

ちなみに、雷電の母である「けん」が子宝を祈願したと言われている仁王像も現存しています。

また、雷電の妻の八重は前名を「はん」と言い、今の千葉県佐倉市の出身です。

実家の甘酒屋で働いているところに巡業で訪れた雷電が一目惚れをして妻に迎えたということです。

 

晩年の雷電爲右エ門

雷電爲右エ門が現役を引退したのは文化8年(1811年)閏2月のことでした。

その後は松江藩の相撲頭取として働き、稲妻雷五郎という強豪を見い出します。

文化11年(1814年)には火事で焼失した報土寺の鐘楼と釣鐘の再現に尽力しますが、この鐘の形状などが幕府上役の不興を買ってしまい、江戸払いの憂き目を見ます。

さらに、文政2年(1819年)には、藩の財政緊縮のあおりをうけて相撲頭取の職も解任されてしまいます。

晩年は、妻の実家のある今の千葉県佐倉市に移り、そこで暮らしました。

そして、文政8年(1825年)2月21日、58歳でその生涯を終えます。

雷電爲右エ門は、相撲取りとしてはかなり高い教養の持ち主でもありました。

江戸の風俗を知る上で貴重な資料となった『諸国相撲控帳』(「雷電日記」とも呼ばれています)や「萬相撲控帳」などの著作が遺されています。

 

雷電の名を冠したお酒

長野県佐久市にある明治34年(1901年)創業の伴野酒造株式会社では、「雷電」という酒銘のお酒を造っています。

雷電爲右エ門の出身がほど近い長野県東御市(旧東部町)であることから、それにあやかって命名した本醸造酒です。

酒質はその名の通り、端麗辛口で通好みの男の酒という表現がぴったりです。

ラベルには錦絵があしらわれていますが、これは雷電の生家から借りたものを元に印刷したものです。

伴野酒造株式会社の主な銘柄として他に「澤乃花」があり、過去においては全国新酒鑑評会や関信局酒類鑑評会、長野県清酒品評会といったところで数多くの入賞歴がありますが、現在の伴野酒造は、賞を受賞するための酒造りではなく、飲む人が美味しさや幸せな心地良さを感じられるような酒造りに注力するため、品評会などには、一切の出品をしていないということです。

 

銘柄: 本醸造 雷電
特定名称: 本醸造
使用米: 一般米
精米歩合: 65%
酵母: 9号系
日本酒度: +5~+6
酸度: 1.3
アルコール度数: 15.3度

 

おすすめの飲み方

「本醸造 雷電」は常温でも美味しくいただけますが、ぬるめの燗をして飲むとその美味しさが引き立ちます。

うま味と辛味がちょうどよいバランスで絡み合います。

熱燗にはあまり向かないようです。

 

酒蔵見学について

伴野酒造株式会社では酒造見学が可能です。

見学をご希望の方は2週間以上前に電話にてお問合せください。

※予約なしでの酒蔵見学はできません。

また、季節によっては酒蔵見学ができない場合もあるということですので、まずはお問い合わせをされることをおすすめします。

伴野酒造株式会社

〒385-0053 長野県佐久市野沢123
TEL 0267-62-0021
FAX 0267-62-0078
E-mail sakagura@sawanohana.com

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酒豪列伝~雷電爲右エ門~まとめ

2斗の酒を軽く飲み干す伝説の最強力士、雷電爲右エ門。

21年間の現役生活で数えるほどしか敗れなかったその生涯に想いを馳せながら、その名を冠したお酒で1杯やるのもなかなかに趣があるのではないでしょうか。

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