周布政之助

周布政之助なる人物を知っていても、周布の酒乱ぶりを知る人はどれだけいるでしょう。

幕末の日本に大きな影響を与えた長州藩。

高杉晋作と桂小五郎、戦術と政治の面で才能を発揮した藩士を排出しています。
そんな二人を、酒を呑んでは振り回し、ときに影から支えたのが周布政之助。

長州藩・政務役筆頭かつ、愛すべき酒乱と藩士に慕われた人物です。

 

周布政之助とは

周布政之助周布政之助(すふまさのすけ)は政務役筆頭として、幕末の長州藩で財政立て直しや軍制改革などに尽力した人物。
高杉晋作、桂小五郎を登用し、尊皇攘夷を推進していたことも功績の一つです。

また、伊藤博文、井上馨といった、いわゆる「長州ファイブ」をイギリスに派遣したのも周布政之助でした。

多くの長州藩士を見守り、導きましたが、酒で振り回すことが多かったことでも有名です。

酒に酔って数々の失敗もしますが、才覚の高さでカバー。
語り継がれる酒乱エピソードは、興味深いものばかりです。

 

高杉晋作を振り回した梅屋敷エピソード

こちらは、土佐藩主・山内容堂と関係して、二段構えのエピソードとなっています。

文久2年(1862年)11月、長州藩主の世継ぎ・毛利元徳(もうりもとのり)が、山内容堂を藩邸に招いたときのこと。

酒宴の席で、長州藩士・久坂玄瑞(くさかげんずい)が得意の詩吟を披露します。
しかし、内容をよく聞けば、幕末の世でグズグズとためらっている幕閣の態度を批判するものでした。
実は、山内容堂の政治的態度にも、同じような批判がありました。
久坂は、詩吟をとちゅうで止めることによって、遠回しな表現に留めましたが、ここでオブラートに包まず、爆弾発言をしたのが酒に酔った周布政之助。

「お前もグズグズやっている一人だ!」的な発言を、山内にストレートにぶつけます。
身分差を考えると、切腹を申し付けられても可笑しくはなかったのですが、主君である毛利敬親(もうりたかちか)によって免除。

一説によると、酒宴の席で、主君筋をバカにする態度の山内容堂に腹を据えかねての発言だったのだとか。
主君想いが功を奏して、窮地を切り抜けます。

 

周布は死んだ

さらに、山内容堂に爆弾発言をした約10日後にも事件が起こります。

高杉晋作の、横浜英国公使襲撃計画を阻止するため、毛利元徳が梅田屋敷で説得に臨んだときのことです。
高杉説得には成功するものの、酒を持ち込んだのがまずかったようで、酒宴の席に周布政之助と土佐藩士が同席してしまいます。

酒がまわるにつれて、不穏な空気を発するようになった周布政之助は、ついに土佐藩士に対して、「山内は尊皇攘夷をちゃらかしなさる」「日和見主義の土佐藩が」など、山内容堂に対する批判を始めます。
主君をバカにされたと、土佐藩士が斬りかかろうとしたところ、高杉晋作が機転をきかせて周布政之助を逃すことに。
襲撃計画を諌められることは想定していても、酒の席での尻拭いをさせられることは想定外だったのではないでしょうか。

ちなみに、怒り心頭の土佐藩に対しては、長州藩一同が「周布は死んだ」と言い張り庇い続けました。
本人は、「麻田公輔」と改名して、その後もちゃっかり長州藩に仕えています。

 

桂小五郎も振り回した?

桂小五郎桂小五郎(木戸孝允)は、周布政之助の実力を認めていた一人。
後に「生きていれば明治政府のトップに立っていた」と明言していたほどでした。

その反面、よほど酒乱に振り回されることがあったのか、周布政之助宛の戯画を二枚残しています。

一枚は、盃の中に「麻田先生命」と書いたもの。
「飲む勿れ(なかれ)」の一言が添えられています。
「麻田公輔」に改名した後に送ったんでしょうね。

もう一枚は、天地をはっきりと見据えた「君子之眼」と、酔って渦巻状の目になった「小人之眼」が比較して描かれたものです。
「天地不能」の文字も加えられていることから、「酔った目じゃあ、世の中を見定められませんよ」というメッセージが読み取れます。

どちらも周布家伝来の品。
桂小五郎のメッセージを、真摯に受け止めていたのかもしれません。
現在は山口県の山口博物館に収められています。

 

高杉晋作を励ました野山獄エピソード

高杉晋作高杉晋作といえば、過激な行動で知られた人物。
元治元年(1864年)には、藩主に無断で京都へ向かったことが脱藩行為とみなされ、野山獄に投獄されてしまいます。

思うようにことを進められず、牢の中でくすぶっていた高杉晋作。
そこに、酔にまかせて馬を飛ばした周布政之助が、刀を抜いた状態で乱入してきます。
門番を刀で脅してまで、獄内に押し入ってきたのです。

周布政之助の暴挙の理由は、ただ一つ。
落ち込んでいるだろう高杉晋作を励ますためでした。
牢屋越しに、激励の言葉をかけたと言われています。
よほど印象深い出来事だったのか、周布政之助との野山獄での出来事を記した詩が、高杉晋作の日記から発見されています。

しかし、抜き身の刀をもって牢獄に乱入した事件は、さすがにお咎めなしとはいきませんでした。
周布政之助は、謹慎を申し付けられたまま、歴史から姿を消してしまいます。
乱入事件の4ヶ月後、長州藩は幕府から討伐令を受けることに。
対立する保守派に実権を奪われ、その責任から切腹し、生涯を終えることとなったのです。

 

周布政之助~長州藩士に愛された酒乱!蒲田梅屋敷事件~ まとめ

高い才覚を示しながらも、酒に酔っての行動で周囲を振り回した、周布政之助。
しかし、語り継がれるエピソードの根底には、常に主君や藩士を思いやる心がありました。
愛される酒乱であったことの、大きな理由ですね。

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