土方歳三

滅びの美学を体現したような新選組。

幕末から明治初期にかけての生き様は、いまもなお、人々に愛されています。

厳しい局中法度があったことでも有名な新選組ですが、酒は例外。

むしろ、酒豪が揃っていたようです。

新選組と酒の関係で取りあげたいのが、初代筆頭局長・芹沢鴨と、最後まで新政府軍と戦った土方歳三。

新選組の始まりと終わりを彩った、二人の隊士の、酒にまつわる話です。

 

芹沢鴨の酒癖

新選組の酒豪といえば、芹沢鴨です。

壬生浪士組を経て、新選組を拝命したときの初代筆頭局長。

浪士組時代から、隊を育ててきた一人ですね。

剣の腕に加え、学も弁も立ったと言われていますが、粗暴な行動が目立った人物でもありました。

有名な逸話としては、橋上で道を譲らなかった力士との争い。

「どけ」「どかない」の押し問答の末、乱闘。

死者も出す事件に発展しました。

また、口説いた芸妓に断られ、仕返しに断髪させるという騒動も知られています。

どちらも、酒が入った後での出来事なのだとか。

芹沢鴨は、「酒が入ると手に負えない」と言われるほど、酒癖が悪かったのです。

和解の宴席でも酔って暴れるなど、徐々に乱暴な行動が目に余るようになった芹沢鴨。

最終的に、会津藩からの命を受けた近藤勇らを中心に、暗殺されてしまいます。

宴会の席を設け、芹沢を泥酔させた暗殺の実行メンバーは、寝込みを襲って殺害。

酒におぼれた芹沢らしい最後だったのかもしれません。

 

土方歳三とねぎらいの酒

土方歳三新選組の「鬼の副長」と恐れられた土方歳三。

芹沢鴨の死後、28歳の若さで、新選組副長となり、近藤勇を補佐していた人物です。

鉄の掟と名高い「局中法度」も、土方考案のもの。

法度を破ったものには、厳しい懲罰を与えていました。

そんな土方ですが、実は、酒豪というほど酒を飲んではいなかったようです。

甘党で、宴席でも酔う前に盃を伏せていたという近藤に、付き合っていたのかもしれませんね。

土方歳三と酒にまつわる有名なエピソードは、箱館時代のもの。

近藤と苦労を分かち合い幕臣にまで取り立てられますが、大政奉還のため、幕府が崩壊。

戊辰戦争が勃発し、新選組として戦い続けるも、近藤が処刑されてしまいます。

土方は、その後も新政府軍と戦いながら、北海道の箱館にまで辿り着きます。

「蝦夷共和国」が設立されたのち、陸軍奉行並として活躍します。

箱館戦争は、土方たちにとっては激しい戦いの連続。

わずか130の小隊で、新政府軍を撃退したこともあります。

そんな殺伐とした日々の中、鬼の副長と呼ばれた土方は、隊士たちに非常に慕われていたと言われます。

部下に酒を振る舞い、一人ひとりの相談事を聞きながら、士気を上げていたのです。

戦いで疲弊した部下たちに、自ら酒をつぎ、「酔って軍規を乱しては困るから、一杯だけだ」と笑ったのだとか。

土方が率いた隊は、箱館戦争においても常勝不敗だったと伝えられています。

五稜郭で散るまで戦い抜いた、土方の酒にまつわるエピソードでした。

 

酒豪列伝~新撰組~芹沢鴨と土方歳三の酒癖 まとめ

新選組の始まりと終わりで、重要な役割を果たした、二人の幹部。

しかし、その最後は対極的なものでした。

酒におぼれ、酒によって暗殺された芹沢鴨。

酒の使いところを見極め、酒によって常勝将軍と呼ばれるほど、戦い抜いた土方歳三。

酒との関わり方を考えさせられる、幕末の酒豪たちの話です。

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